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終局に至る告白(その2。1995年~) [TRPG・その他]

まさか二周目とは…
前回の板、「終局に至る告白」が記事の字数制限に引っかかり、続けることになりました;

ぽ村的なTRPG年表を晒すと

1987~1990年 黎明期
1990~1993年 グループ結成・拡大期(前期)
1993~1995年 グループ拡大期(後期)
(↑ここまでが前の板。http://pomura.blog.so-net.ne.jp/2010-04-21
(↓ココからがこの板)
1995~1997年 グループ縮小期(前期)
1997~2000年 グループ縮小期(後期)
2000~2003年 グループ末期(前期)
2003~2005年 中断期
2005~2008年 グループ末期(後期)
2008~2010年 現在  

多分ココも字数制限に引っかかるので、3回目・4回目と続くだろうけど、 ぽ村 のTRPG趣味に関わったヒト達は辛抱強くお付き合いいただけると嬉しい。

ちなみに、(前回も書いたけど)この記事は基本的にチラシ裏に書き込めば良いような内容だ。
「真実かどうかは知らないが、 ぽ村 はこう覚えていて、こう解釈している。」
というものだから、内容も正確とは言えないかも知れない。

さらにこの95年という時期は、グループ内に大きなトラブルが発生したので、思い出が呪詛ががかってる。

なぜそれでも続けたか、それでも楽しかった思い出も含めて書いていこうと思う。

個人を特定できないように名前は挙げないし、挙げてもアルファベットで年が改まるごとにシャッフルする。
…それでも元グループメンバーなら解ると思うが。

記事のコメントやリアルで「あのAってのは誰だ?orXXXか?」という質問も一切回答しない

記憶違いがあったら指摘して欲しい。
記事の同時期に、その指摘コメントを組み込むことで対処しようと思う。

できれば最後(「現在」)まで読んでもらって
「ああ、ぽ村はこんなことがあって楽しくて&楽しくなくて、それでOOするんだなぁ」
と思ってもらいたい。
そして出来れば引き止めないで欲しい。

もっかい言うが
この記事はチラ裏だ。
しかも「より」チラ裏だ。

まだ終わってないTRPG系記事も多いけど、そっちも続くので引き続きご愛顧下さい。

…っつか、年度内に書き上げる計画、不可能だなをい;

規約
・一年ごとの思い出を書き足していきます。できれば今年度中に完結したいです。
・他のTPRG板と同じく、ちょくちょく更新&コメントで告知しますので気になる人は続けて見て行ってください。
・質問はコメントまで。CMは即デリート
・個人名やOOの内容についての質問は答えられません。特にOOの内容は記事の最後に挙げます。

1995年(後)

4作目のキャンペーン開始前、3人のGMで以下のようなことを決めた。

・キャンペーンは3人の持ち回り制。
・各GMは相互の話関係なく話を作っても良い。
・他の二人がシナリオを作ってる間は、キャンペーン形式を取って ぽ村 がGMを務める。そのキャンペーンもバトンタッチ可能( ぽ村 がPLオンリーになることも可能)。
・GM同士に限らず、メンバー全員の設定を尊重する。

明文化はされていないが、記憶にある限り、上記の事を掲げたと思う。

キャンペーンはまず、 ぽ村 がシナリオを二本展開。
前のキャンペーンのテンションも続いていて、上々の滑り出しだった。
そして、GM経験の無いメンバーが担当するシナリオ3本目。

最初に抱いた不安は現実になった。

舞台は船の上。
一人の少年をめぐる話だったと記憶している。
面白いNPCで笑いを誘った滑り出しは、不安を吹き飛ばしたかのように思えたが、開始30分程でその「面白いNPC」によりPC達のほとんどが船の一室に閉じ込められ、出られなくなってしまった。

しかも、ほとんど発言も許してくれない。
単独行動をとったPC一人だけを相手に、話が進む。

席の近いもの同士「1(GM)対1(PL)」で話すものだからどんどん声が小さくなってゆく。

「何を言ってるか聞き取れない」と、抗議したところ、「 ぽ村 NOPCはそこに居ないからことになってるから(つまり、聞く必要は無い、ということ)」と、突っぱねられた。
( ぽ村 このコレに近いことを2・3度かやったが、あまりに不評なので謝罪して封印した。その時の謝罪に立ち会っていたはずのメンバーなのだが…)


他のメンバーは呆れて床に寝そべり、マンガを読み始める。

ヲレは辛抱強く(ぞんざいに扱われながらも)話を聞いていた。
…さすがに限界を感じ始めた頃、寝そべってマンガを読んでいたメンバーの二人が「…帰る」と、荷物をまとめ始めた。
それを何故かヲレが引き止める。

場の悪さは、 ぽ村 の長いTRPG人生でも屈指のものだった。
それでも、PL一人とGM一人の二人は大いに盛り上がってるようで、「楽しさから完全に除外されている」という感が、周囲との差がより一層場を冷え込ませた。

そして話の終盤、登場人物の一人がウソをついているかどうかが問題だと小声の会話から聞き取れた。
小さな声のせいで、状況をよく把握できていなかった ぽ村 は、「その場にヲレのPCは居る?」と質問したところ、「いる」という答えが。

コレはきっと魔術師のヲレのPCにウソを見破る重要な役を用意してくれたのだろう!
と、内心喜んで『センス・ライ(ウソ看破魔法)』を宣言。
見事、NPCのウソを見破ったところ…
「今までの話、聞いていたの!!?」
「それがそのキャラクターの性格なのか!!?」
と、GMとPLの盛り上がってた二人組が口々にコッチの会心の行動を罵ってくる。

PCの能力も把握できず、聞こえもしない会話でどうやって話を聞けと言うんだ?と、抗議するべきなんだが、長時間放置されていた ぽ村 にそんな気力は湧かず、即座に手近なマンガに逃避した。

なんとか終了したらしいシナリオの後、深く感じ入った顔してる盛り上がった二人を尻目に、
「こんなに放置されるなら、来なきゃ良かった」
「なんであそこで帰らせてくれなかったんだよ!?」
「俺たち、必要なかったんじゃないの?聞くのも、言うのもダメなんてキツ過ぎる…」
と、悪態をつくメンバーと一緒に帰った。

初めてのGMということを差し引いても少々厳しい気がしたので、後日2・3注意とアドバイスを始めたところ、初心者GMは「じゃあもうやらない」と拗ねられた。
(このとき、貸していたGMについてのガイドブックや、リプレイを一切読んでないことを知った。自殺行為だと思う)
あわてて説得するが「オレのことを誰もわかってくれない」と首を振って話を聞こうとしない。

他のメンバーに説得を頼んだが「アイツはまだGMやるのか!?冗談じゃない!」と、逆に非難を浴びた。

一人盛り上げってたメンバーに説得を頼むと「オレは楽しかったよ?」と、ピントのズレた答えのみで、結局は説得してくれない。

初心者GMをのメンバーはGM持ちまわりの枠から外れることになった。

そうなると持ち回り制の要は、もう一人のGM経験者にかかってきた。
当時の彼のマスタリングは、 ぽ村 のように物語で惹き付けるのではなく、問題の解決に役立ちそうな材料を与えて「考えさせる」ことで惹き込むタイプと定評があった(当たり外れも凄かったけど)。
そのマスタリングが、この世界でどう演出されるのか?
ヲレはPLとしてもGMとしても興味を持っていた。

一言で言うと、普段よりも楽しみにしていた。

本人に大丈夫か?と尋ねると、「大丈夫。いいこと考えてる」と、かなり前向きな言葉。
ヲレも少しは受験勉強ができると喜び、翌週分のシナリオを彼に任せると、久々に(をい;)受験勉強に没頭した。
平日は受験勉強に没頭しながら、休日日中にTRPGで負担の無いPL…という浪人生のTRPGゲーマーには理想の形…のはずだった。

彼のマスタリングから今後の方針も決めよう…と、思っていたため、 ぽ村 も一切シナリオを考えていなかった。
(そもそも、アチラのシナリオの終わり方が解らないと続けられないのだ)


そして日曜日。

GMをするはずの彼は無断で欠席した。
彼は遅刻常習者でもあったため、「遅刻かな…;」と、思いつつ終了時間(午後五時)間際まで団地の集会場で待った。

しかし来なかった。

その日も、次の日も、その次の日も彼の家に電話して(当時まだ携帯電話はそれほど普及していなかった)、ようやく彼を捕まえた。
「次の日曜は必ずやるよ」
と、約束して、ほっとして電話を切った。

そして次の日曜日。
約束した彼はまたも無断欠席した。
二週間も日曜日の日中を潰された他のメンバーはさすがにピリピリしていた。
「本当に今日は大丈夫って言ったのか!!?」
と、連絡係の ぽ村 に怒声が飛んだ。
しかし、近くの電話ボックスからかけても彼は捕まらない。

その日も何も出来ずに解散した。

別の日に電話に出た彼は、笑いながら「ゴメンゴメンw」と言った後、「次の日曜日には確実に出来る。予定も空けた。シナリオもあとちょっと」という返答をした。
何度も念を押して、切った記憶がある。

プレイ予定日の前日、土曜日夜に念には念を入れて電話した。
すると、「大丈夫、シナリオも出来ている」という返事。
ようやくほっとした。

翌日の日曜日、一時間遅れて彼が来た。
そしてヲレを含む疑心暗鬼に陥っていたメンバー達に対して、開口一番

「オレはGMをやらない」

と、宣言した。

そして以下のような事を言った。

・今回のキャンペーンでは一切GMをやらない。
・プレイヤーとしても、向こう3週間参加しない。
・シナリオなんか一切作っていない。
・これらのことが認められないならグループから抜ける。

…みんな、あっけに取られた。
ショックが大きすぎるのだ。

彼はなおも続けて「オレ、まだこのキャンペーンに参加してて良い?(つまり、上記のことを了解してくれるかという遠まわしな質問)」と尋ねてくる。
みんなは「あ…うん…」「まぁ…」と、ショックから抜けられずに生返事。

後に冷静に考えてみたら、コレは脅しに等しい質問だった。
前のキャンペーンでメンバー二人が抜けたままで、人数不足が危ぶまれるなかのこの要求。
飲まなければ、メンバー数は ぽ村 含めても4人にしかならない。
当時は4人はショートシナリオ向きの人数。
キャンペーンなど難しい…と言うより、無理という意識が支配的だった。

みんなも生返事を聞いて、「あ、そう」と言ったか言わぬか、そんなノリで集会場にきて30分も経たない内に彼は迎えの車に乗って立ち去った(後で知ったことだが、この時期バンド活動に熱をあげ始めてたそうだ。さらにこのやり取りで、全て許してもらったと思ったのか、キャンペーンに復帰した後も悪びれずいつもの調子だった)。

…集会場に残されたメンバー達に怒りが襲う。
特に3度目のドタキャンを恐れて、他の誘いを直前まで断らず、当日天秤にかけた結果、彼を信じたメンバー2人の怒りは凄まじかった。
もう一人の温厚なメンバーさえ、もうこの場には居たくないとばかりに集会場の戸締りを始める。


この日怒りに怒ったメンバーの一人が、後日、彼に「三週間(ドタキャン)+三週間(休止分)で六週間ももフイになったんだけど?」と、遠まわしに彼に謝罪を求めたところ、「他の事やってりゃよかっただろ?」居直り発言で返したことから、彼はメンバー内で一層不興を買うことになる。

これでみんなが諸手を上げて賛同してくれた計画は全て崩壊した。

キャンペーンを打ち切ることを選択肢に入れた(不義理働いたメンバーも切っとけば良かったし、キャンペーンも打ち切っとけば良かったと思う)。

これが、 ぽ村 が独断で開始したキャンペーンなら迷わずそうしただろう。

しかし、みんながルールと共に指名し、愛着があると言ってくれたこの世界を怒りに任せて終わらせることは出来なかった。
何より、TRPG以外で会う事の無い一部メンバーはこのキャンペーンの崩壊で仲違いしたまま一方がグループに来なくなる可能性も無視できなかった。


つまりは、この骨を失ったキャンペーンは、三人で行った合意を元に、浪人生である ぽ村 一人が引き受けることになった。


しかし、続けようにも構想なんて全く無い。
その為、このキャンペーンの話自体に冬を来させ、不義理働いたメンバーが復帰可能になるまで一月程度休眠。
キャンペーンの骨組みから再構築することになった。

しかし、一度動き出したキャンペーンを骨組みから再構築するというのは、ゼロの状態から骨組みを構築するよりも難しい。
何よりネタが全くといって良いほど無かった。
TRPGを知らない友人達に助言を求めるほどだった。
当然、家での勉強時間は圧迫される。
浪人生だと言うのに、家で机に向かう時間=次のセッションのシナリオを考える時間になった。

さらに追い討ちをかけるように、この一件以降他のメンバーのテンション・モチベーションが著しく低下した。
以前には無かった遅刻・早退が日常的に起き、集中力ないプレイでシナリオの失敗などが相次いだ。
(後に気付いたが、問題を起こしたメンバーを罰しなかった ぽ村 に対する当て付けだったと思う)

まだ混乱は続く。
持ち回りGM制の為にと、大陸の設定を穴だらけにしていた事も混乱とヲレの負担を増加させた。
しかも、混乱の原因となったメンバーが、積極的に設定の穴を穿り返すのだから他のメンバーからの不興は日増しに高まっていく。
そのうち、そのメンバーが来ただけで場の空気が悪くなるほどだった。

それでも辞めれなかった。
ここで ぽ村 がGMを辞めれば、GMが出来る(と言うより、メンバーが信頼できる)人間が居なかった。
つまりはグループ外に不和を持ち出す形でのグループ消滅が避けられなかった。

 ぽ村 の一人芝居という暴走でコケた2作目のキャンペーンと違い、この4作目はコケない為の対策をしていたにもかかわらずメンバー間の計算外な出来事と不誠実・そしてそれを許さざるを得なかった ぽ村 の甘さ…多くの要因が絡み合ってコケた。

コケた、何て軽口な用語は不適切だ。
その後、何年も払拭出来ない大きなトラウマやメンバー間の不仲まで残していったのだ。

他にもこのキャンペーンは、その後グループ崩壊の原因を作ってゆく。

上の出来事の後、キャンペーンへの参加を見合わせたメンバーが、予告も無く部外者を連れてきた。
「この部外者は見学希望者だ。見学させたい」
連れてきたメンバーの顔も立てたいし、メンバー数が危機的なのも手伝って、嫌そうにこっちを睨んでくる他のメンバーの意図を正確に汲めなった ぽ村 は独断でオッケーを出してしまう。

見学自体は何事もなく終了したが、見学者と同伴のメンバー二人が帰った後、 ぽ村 に非難が向けられた。
(この時に初めて知ったのだが、来ていた見学者は一部メンバー間で蔑称が存在するほど嫌われていた人だった。)

曰く、嫌そうな顔したのに、何故オッケーした?
曰く、メンバーならとにかく、赤の他人に見られてセッションに集中できるか。
曰く、見学者が加入するならコッチから抜けてやる。

何とかなだめて、相談した結果
「見学者含めたグループメンバー加入者・キャンペーン途中参加の是非は、独断や即決で決めずに必ずキャンペーン参加者の了解を得ること」
という結論に達した。

しかし、当時主要メンバーはGM持ち回りでの一件のような、キャンペーンそのものに関わるようなトラブルを極力避けたがっていた。
新しいメンバーがまた新たなトラブルを持ち込むことを嫌っていた、と言っても良い。

その後、グループの人数不足や、新規参加希望者等で数回この加入の是非は論議されるが、結局グループ崩壊まで一度も新規加入や途中参加が認められることは無かった。


この4作目の皮肉なエピソードを紹介しよう。
3作目のPC達数人は、メンバーの熱い要望もあって、NPCとして顔見せ程度で登場していた。

しかし、上の持ち回り制の崩壊後キャンペーンへのキーパーソンに格上げ。
大活躍することになる。
 ぽ村 のPC兼NPCも本来そういうポジションではなかったのに、話を引っ張る為ににわかヒロインに仕立てられる。

最終決戦時、3作目のヒロインと、このNPCになった ぽ村 のPCが対峙。
3作目のヒロインが窮地に陥ったときの、メンバーの一人の表情が忘れられない。

味方のはずのNPCではなく、対峙する前作ヒロインの方を心配する、あの表情が。

3作目まで続いた話の作り方を打破する為、つまりは改革の申し子として出た4作目で、前作のキャラクターが大活躍。
PL達もそれを応援。


この無念さがわかるだろうか?


そして4作目のキャンペーンは終了した。

すぐに5作目を出し始める。
ネタは当然ない。
しかし辞めればケンカ別れは確実。
TRPGは面白くなくても、悪化した関係を和らげる場は必要だと判断した為だ。
無理を言って、以前居た出席率が怪しいメンバー達にも声をかけ、なんとか仲違いの緩衝材のような役割を期待した記憶がある。

そして、最初からテンションもモチベーションも低空飛行のまま、11月に5作目は終わった。
その間、ほとんど勉強できなかった…というより、やる気が起こる状態ではなかった。
仲違いも少しは改善したように見えたし、何より11月と言う切羽詰った状態でようやく現実の方に目が向いた。

この4作目と5作目は、後のキャンペーンにほとんど影響せず、プライベートでもほとんど話に上らない。
一種の黒歴史として扱われている。
しかし、参加したメンバー達への影響(「溝」と言った方が適当だと思う)は大きかった。

・メンバー全体のテンションが6作目終了まで低いままだった。
・GM持ち回りの件でトラブルを起こしたメンバーに対して強い不信感を持つようになった(他メンバーは彼にGMをすることを決して求めず、GMである ぽ村 も、「いつで抜けて良い」PCポジションしか用意できなくなった)
・ソードワールド以外のルールがタブー視されるようになった。
・出席率や遅刻に敏感になった(その後の少人数キャンペーンの布石になる)。
・参加の可否の合議制のおかげで、加入者は全く認められず、「去るものは追わず、来る者は拒む」という形になり、グループはドンドンそのメンバー数を減らしていく。


そして、猛然と ぽ村 は勉強を開始…遅すぎるスタートをして、95年は過ぎていった。

1996年(前)に続く。

<余談>1995・96年について

96年を語る前に結論を言っておくと、95年から96年いっぱいの丸二年近く、グループのTRPGや人間関係は低調だった。


ぽ村は「人間関係を修復できるレベルを作れない、ヲレのキャンペーンの話の作り方が悪いのだ」
と、自分で勝手に責任をかぶってキャンペーンの間の期間や休養期間にも、シナリオ集をネタにワンオフ的なシナリオを遊んでみたり、GMの出来るメンバーが持ってきた新ルールに応じてセッションをしてみたりもした。

しかし全く盛り上がらない。
「次回が楽しみ」というワクワク感が全くと言っていいほど無い。
そういうことを繰り返して、ようやく問題の本質が見えてきた。

メンバー達のモチベーションが著しく低いのだ。

シナリオが一本道で窮屈なのかと思い、自由度の高いシナリオを用意しても動こうとしない。
メンバー達はプレイ中にもかかわらず、横になってマンガを読みふけっていたり、当時流行っていた対戦格闘ゲームの話を一人で盛り上がって話していたり、白紙やキャラクターシートにプレイに関係あったり無かったりする事を書き続けていたり、果てはセッション中にもかかわらずTVゲーム機のの電源をONにする者まで現れる。
遅刻・欠席は常態化。

4・5作目のキャンペーン(95年)で話をちゃんと聞いているPLは1人(参加したPLは4人)だけ。
6作目(96年)では2人(参加したPLは5・6人)だけ、というテンションの低さだった。
そのうちの一人のリーダー格のPLも、「あー、どうせオレが決めるんだろ?」という態度だったと後に告白している。
つまりは全体的に積極的なプレイが丸二年間無かった。

ほぼ末期状態のグループに、解散もやむなしと、と色々メンバー達に聞いてみたところ
「TRPGは楽しかったり楽しくなかったり、フツー」
「やめても良いが、日曜の日中はやることが無いので続けた方がいい」
という消極的な継続希望が返ってきた。

浪人生が勉強時間削っても、他のメンバーには「いつやめてもいいけど、無くなると少し困る」程度の存在。
頑張って作る甲斐も無いに等しいのに、手を抜くとボロクソに言われたり…と、 ぽ村 としても正直人間不信になっていた時期。

一方で、受験という束縛から解放された96年はどんな浅ましい手段を使ってでも、それを跳ね返すキャンペーンを「最後に」一つ…そんなことを内に秘めていた。

ちなみに、上で触れた「1オフシナリオ」や「新ルール」は全く定着しなかった。
理由は
一回で終わるシナリオだから、PCに愛情を注ぐだけ無駄、ということ(PCの名前が「ステイシー(捨石)」「カマセーヌ(かませ犬)」だったりすることからも、消化試合だったと思っていい)。
新ルールは、GM役( ぽ村 ではないよ)の人しかルールを持っていない、ということ。
そしてそのGM役も「あくまでテストプレイだから」と言って、ルール継続使用やキャンペーン化の意思が無いような発言をした事…が、挙げられる。
当然、斜めに構えたメンバー達相手には盛り上がらず、「新ルールは面倒くさい」「ルールを変える必要は無い」という大半のメンバー達の認識を冗長させてしまう。

そんな無気力さが蔓延するなか、96年、 ぽ村 はグループやTRPG趣味の消滅も覚悟して「このキャンペーンシリーズを終える」。
と、決意する…のだが。


1996年(前)

薬害エイズ事件が大きく報道されていた。
アトランタオリンピックが開催された。
中国のロケット打ち上げ失敗をTVで見て寒気がした(500人くらい死んだらい)。
数年続いた新党ブームのあおりで政権が不安定化し、景気の冷え込みの長期化が確定した。


「幅広い範囲を網羅しなければならないセンター試験は無理!」
と、国公立大学を諦めた ぽ村 は得意な文型科目と小論文の勉強に傾注。
(現役時代よりセンター試験の結果…特に英語と数学の得点が半分近くまで下がったなんて口が裂けても言えない;)

この割りきり方が当たって当初の志望校の2ランク下の私大二つに合格する。
で、「資格が比較的多く取れる」という理由で都市部の大学を選んだ。

3月、進学先の大学は実家から車で1時間半程かかる場所の為、 ぽ村 は親御と交渉してついに1ルームアパートを借りて一人暮らしを始める。
(ちなみに生活費は家賃他全込み月7万円。コレでバイトしなかったんだから、今考えるとすげぇ;)

大学では入学式前のオリエンテーションで早速友人が出来るなど幸先の良いスタートとなった。
が、一方で小学校来平日によく遊んでいた友人が、出稼ぎに出てしまいそのまま7年も音信不通になった。
TRPGがダメでも、一番気兼ねなく話できたし、TVゲームメインで一緒に遊んでいた、いわばプライベートや趣味の安定株的な友人だったのでひどく寂しく思った記憶がある。
それに関係していた他の友人達も出稼ぎへ…。

純粋に、友人が減った気がして心が欠けた気分になった。


そして約半年の休養を経て、TRPGキャンペーンシリーズのの6作目を作り出す。

4作目でみんなとデザインした大陸の方は、正直もう嫌な思い出ばかりだったので、3作目まで舞台だった大陸に戻した。
(誰も反対しなかったのが、4・5作目がいかに不評だったかを証明していた)

メンバーも、昨年の出来事をまだ引きずってはいたが、場の空気が悪くするほどものでもなくなっていた。
そして復帰したメンバーも居たことから、「プラスマイナス=少しマイナス」程度の雰囲気になっていた。

6作目は、最初からこのキャンペーンシリーズを終了させること前提で(開始時は少し迷っていたけど)作り始めていた。

高校も卒業して一年以上経っていた。
みんなもそれぞれの道を歩み始めていた。
集会場に週一で遊びに来れるなんて、もうラストチャンスだと思っていた。

だから舞台も戻したし、話もメンバーの大部分から好評だった3作目のキャンペーンの流れを直接汲むモノだった。

しかし、それでもなかなか盛り上がらない。

3作目で途中脱落し、このキャンペーンから本格的に復帰したメンバーの一人はあまりの雰囲気の違いに戸惑っただろう。
自分を脱落させたプレイ形式が未だに続き、かと言って他のメンバーが以前のように熱狂的に指示してるわけでもなく、むしろ消極的なプレイをしているのだ。
その状態を打破しようとした積極的な提案もみんなに受け入れられない。

 ぽ村 は「何をしてでも盛り上げよう」と思ったので、キャンペーン途中に一計を案じた。
それは「戦闘のバランスを(良い意味で)悪くする」ことだった。

永らくSWのルールが続いたせいか、 ぽ村 の戦闘のバランスは神懸かっていた(実際そこは定評あったりする)。
しかし、PCの死がキャンペーン崩壊のきっかけでもあることから、4・5作目とかなり甘い戦闘のバランスで推移。
「サイコロ振って殴っていれば勝てる」という程甘くしていた。

そこで、「パーティーメンバーの全戦力を合理的に充てないと、勝利は無理」というレベルまで戦闘バランスを「悪く」したのだ。
この狙い自体は当たって、毎回最終決戦さながらの全力戦闘が続く。
生命力は残りが2・3でも「運がよければ次のターンにも生きている」と回復が後回しにされ、魔法役は常に使える魔法と睨めっこ。

回復役は精神力1ポイントを、どの前線PCに充てるかをドライに考え…。
と、戦闘部分ではかなりの盛り上がりを見せた。
ちなみに、敗北=キャンペーン崩壊という恐怖は、敗北時のシナリオをあらかじめ考えることによって克服された。
実際、PC達は2・3回敗北・敗走している。

しかし話の部分ではなかなか盛り上がらない。

PL達が能動的に動こうとしない…積極性が欠けているからだった。
PL達が受動的に役割を求められる厳しい戦闘…そのテンションで力技的に盛り上げるのが精一杯なのだ。
つまりは、ルール回しによる盛り上がりの限界がソコだった。
しかも、戦闘中は盛り上がっても、PL達はさほど良い顔をしない。
「戦闘が厳しすぎて疲れる」
と言うのだ。

とりあえず、最後だから、それで盛り上がってるなら良いだろう。
と言うことで、その意見は無視して(実際、戦闘をゆるくしても話部分で盛り上がるとは考えられなかった)、もうこのキャンペーンで最後なのだからと、戦闘のバランスはそのまま。
(コレが後に戦闘アレルギー・ルール回しアレルギーとなって、ルールへの飽きと併せて厄介な方向に転がってゆく。)

しかし ぽ村 も一方で
「このまま、このキャンペーンで終わりで良いのか?」
「まだ、TRPGでもっと面白いことが出来るんじゃないか?」
「やる気を呼び戻せば、まだ活路はあるのでは?」
という迷いもあった。


夏頃、地方でTRPGのコンベンションがあった際に一般参加してみたり、メンバーが考案した「トランプカードを使って各自即席物語を考え、TRPGっぽいゲームをやる」ものを遊んでみたりもした。

前者は、つくづく ぽ村 自身が無印なTRPGに飽きているか・物足りないかを再確認させた。
そして仮に同じセッションをグループメンバーと遊んだところで、ブーイングしか返ってこないことも容易に想像できた。
後者は、即席で物語や設定を作れる人は楽しかったが、一方他の面子で遊んだときは全然盛り上がらなかった。
つまりは人を選ぶし、一定のノリの高さを要求するものだった。

無印なTRPGシナリオの弱点は物語性の弱さだった。
予定調和なエンディング、刺激不足な展開をダラダラ流し、盛り上がるのはセッションの最終戦闘付近のみ。
しかしソレを嫌って、刺激を求めた物語の先鋭化は、作る側の趣味が表面化しやすい。
ソレが果たして複数のPL達に受け入れられるのか?という理性のブレーキが効いて、なかなか踏み出せない。

実際、4作目キャンペーンで趣味全開のマスタリングをしたメンバーは、メンバー達からヒンシュクを食らっているのだ。

「トランプカードの~」のゲームは、人を選んだ。
しかし、他の者に関わることも無く、自分の趣味全開で自分の物語を演出できる点はかなり新しかった。
それでも、ウケが悪い人間は確実に居る。
そんな人間が一人でもいると、場が冷え込むのはTRPGの欠点で、それが発生しやすいモノはメインのスタイルとして考えにくかった。

そんな頃、MMORPG制作の情報を ぽ村 は目にする。
「無印な物語・ルール回し主体のTRPGはコレで終わるな…」
すぐにそう思った。
既に「マジック」というカードゲームが世に出ていて、TRPGユーザーを食っていた。
そんな時期にMMORPGだ。
かなりの衰退が予想された。
そして実際、TRPGは互いに牽引しあっていたライトノベルと共に急速に衰退する


じゃあ、物語で売れば…と思ってたとき、スゴイ面白い物語のアニメを見た「夢を見た」。
起きてすぐにTRPG化しようとしたが、無理だった。
TRPGとアニメとでは手法が違いすぎるのだ。

良い物語に触れたければ、映画やドラマやマンガや小説見た方が時間もかからず、そっちが良い。
TRPGでその物語を出そうとしたらPLの必要ない吟遊プレイ…しかもアニメのスピード感や演出を殺した劣化型になってしまう。

そう思った途端、辞めようかどうか迷っていたTRPGを、 ぽ村 は辞める決心をした。

キャンペーンの終盤、こう宣言した。
「このキャンペーンシリーズはこの作品で終わる。キャンペーンも今後やらない。TRPG自体がもう終わりだと思う」

すぐにメンバー達から批判が来た。
それらの批判に、
「TVゲームや、映画とかの映像作品に絶対勝てない。そっちやったり、見た方が良い。」
と返すと、火に油を注いだようだ。

「 ぽ村 はTRPGの無限の可能性を殺すのか!」
「そう諦めたら何も出来ないだろうが!」
「TVゲームに勝てないことなんて無い!」

と口々に反論してくる。

 ぽ村 はソレを聞きながら首を横に振って内心『チミ等、そういうことをそこまで考えたことないだろ??』と、つぶやいた。
実際つぶやいたらケンカになっていただろう。

ちなみに、上で「無限の可能性」とか「TVゲームに~」とか熱く語ってたメンバー達数人は、後年、MMORPGにハマってTRPG自体から足を洗ったり「PSPのモンハンが最高!…TRPGが、全く入り込む隙間も無い;」とか言って、 ぽ村 をカチンと来させる。
要するに、遠くない未来はこの時の ぽ村 の見解通りになったのだ。

この頃、3年ほどお世話になっていた団地の集会場は管理する人が変わって、新規約で集会場の使用理由等、文書の提出が求められた。

それらをちゃんとこなしていた、が。
しかし、新管理人は週一で集まるこの集会を追い出す気満々だったらしく、秋口頃に妙な言いがかりをつけてきて追い出された。

次の場所で悩み、『かなり遠いが、 ぽ村 の下宿先でもやむなしか…』と思いはじめた頃、この集会場を紹介したメンバーが「じゃぁ、ウチの家でやろう」と提案。
家族の許可も取り付け、そこで99年春まで遊ぶこととなる。

ソコから、また余計な話を ぽ村 は抱え込むことになるが、ソレはまた今度。

10月。
場所が変わってメンバーの家の六畳ほどの和室で、6作目のキャンペーンが終わった。
ラスボスなんか1/36の確率で次ターンの全滅が確定する攻撃まで持っていたが、長丁場の戦闘にもかかわらず、幸い炸裂しなかった(それでも相当な死闘だった。性能や話的にラスボスと思ってたヤツの後に、別用でPC達の前に現れたラスボスが居たのだから。しかも、前のボスよりも強力。さらにPC達は前のボス戦でかなり戦力もダウンしていた)。
最後と決めていたキャンペーンは無事ハッピーエンドだった。

その前のも、そしてその後を併せても、キャンペーンシリーズ中で随一の強力さを誇ったボスを撃破して、エンディング迎えたときのPL達の安堵の表像を見て、
「ああ、コレでいいや」
と思った。

これからメンバーの交友関係も考えずに済む。
シナリオに悩むことも無くなる。
グループが自然消滅したって、大学や新しい交友関係が開ける…。
メンバーの考え方や生活がバラバラになっていく中、ちょうど良い。
そう思うと心が軽かった。

その帰り、なにか言いたそうなメンバー達と3人でゲームセンターに遊びに行った記憶がある。

それから一月も経たず、メンバーの二人が県外へ出稼ぎに出た。
他のメンバーも一人はキャンペーン中に同じく県外へドロンしていたし、残った二人のメンバーのうちの一人も「大学受験が厳しくなったら一旦抜ける」と宣言していた。

集に一度2・3人集まって、軽い無印セッションをする日々が続く。

「ああ、こうして自然消滅するんだな。でも、ケンカ別れじゃなくて本当に良かった…。」
そう思いながら、グループ最後の時を過ごしているつもりだった。


1996年(後)に続く。

1996年(後)

11月になった。
その間、 ぽ村 はメンバー宅に集まりつつも、GMをやらなかった。
正確にはGMをやる事を避けていた。

ここでまたGMをやれば、たまたま調子に乗って、また惰性で続けてしまう可能性があったからだ。
ここで着地すると決めていたヲレは、これ以上のリスクを背負いたくなかった。
ヲレのGM抜きで、メンバーがTRPG続けられなくなったら、それでおしまい。
それで良いだろう…。

そういう風に思って、ダラダラと他メンバーのGMのセッションを数少ないメンバーの中で遊んだり、人数が集まらず、何もせずに解散したりした。

もう一人のGM経験者のメンバーも自分のセッションをキャンペーン化しようとはしなかった。
キャンペーンを延々としていた ぽ村 の手法と比べられるのを恐れたのかもしれないし、そもそも負担の大きいキャンペーンに踏み切れなかったのかもしれない。

先の無いTRPGセッションは毎回使い捨てで、盛り上がる事もほとんど無かった記憶がある。

そして三人残っていたメンバーのうち、GM経験者のメンバーが大学受験で一時離脱。
入れ替わりに、県外へ出稼ぎに行っていたメンバーが、家の事情でひと月くらいで帰ってきた。
±0のメンバー数。
しかし、GMをちゃんと経験した者は ぽ村 以外に居ない。

そしてヲレはGMをやらない。

すると、一度GMをしそこなったメンバーが「じゃあ、俺がやっても良い?」と聞いてきた。

やる気があるならやればいいけど、これがまた特殊な趣味のメンバーの方だった。

「きっと美少年の島の物語だぜw」
と、もう一人のメンバーと軽口を叩きつつ、以前の反省も踏まえて薄まっているだろう…と、ちょっと期待した。

が、残念ながらむしろもっと濃くなっていて、
「全世界の大人はキチガイとなり、正常な精神を持っているのは14歳未満の少年少女だけで、世界中のキチガイの大人達と戦っている」
という、結構な世界が翌週、 ぽ村 ともう一人のメンバーを待っていた。

「14歳未満…出来れば12歳以下のキャラクターを作ってくれ」
と、キャラクターシートを手渡された。
もう一人のメンバーは何らかの役割を任せようとしているらしく、能力値や年齢・性別・イラスト欄まで名前以外のほぼ全てがGMによって書き込まれている。
ヲレの方は年齢制限以外は割と自由(逆に言うと、そのGM的にどうでも良いポジションが用意されていたともいえる。)なんだが、もう一人のメンバーがえらく引いているのを見て、「せめてもう少し、自由に作らせたらどうか?」と提案する。

しかし、GMは頑として聞かない。
「それほど固まってるキャラなら、NPCとしてGMの手元に置いておいた方が…」とも提案するが、別のNPCとの絡みで、そのキャラクターはPCの方が良いと、聞かない。
かなり濃い世界に、さらに濃いキャラクターを押し付けられて、もう一人のメンバーはかなり参っていた。

そこで、ヲレは自分のPC作りにかなり自由を持たせようとする。
14歳未満という要望を蹴って、14歳に。
「キチガイな大人になるよ?」
という忠告にも「キチガイな大人になるか否かで葛藤するのを演じたい」と、突っぱねる。

コレは暗にイヤミだった。
自分が望んでいないキャラクターを押し付けられそうなPL。
そして自分が望んでないPCで参加されそうなGM。
この窮屈さが解れば、せめて能力値等をそのPLに決めさせてやってはくれないか?
とか期待してたのだが、それ以前もその後も、このGMのメンバーは期待には応えてくれなかった。

自分の意にそぐわないPCを作った ぽ村 に、そのGMは「君のキャラは一話目で殺そう」「新しいキャラクターシートも渡すから、今から別のキャラクターも考えておいてくれ」と言い出した。

さすがに驚いた。
「コチラもこのキャラクターのイメージ沸いて、それなりに楽しみにしているのに、いきなり殺してしまおうという宣告は酷い。何より、チミは自分の趣味丸出しのPCを今までヲレGMのセッションでやってきて、それについて否定された事はあったか?。そして、PCを作る際の酷い制約なんて課された事はあったか?少なくとも、GMをやっていたヲレには否定した覚えも、課した覚えも無い。」
と、苦言を呈した。

すると、GMは「だれも俺の事をわかってくれない…」と、以前聞いた事のある台詞を口にしてしぼんでしまった。

結局、もう一人のメンバーがキャラクターについては折れた(というか、諦めた)のと、GMはシナリオは一つ作ってるらしいので、この日のセッションはキャラクターメイキングだけで切り上げ、翌週それを遊んでから今後の事を決める事にした。

その時も ぽ村 は全くGMをやる気は無かった。
…が、ああもPLのやる気を削ぐGMを見ていると「ヲレがGMだったら、こうして…ああして…」と、思案をめぐらせるようになっていた。
そして、もう一人のプレイヤーの様子を見るに、来週のセッションはかなりハズレるだろうな、とも予想した。

翌週。
先週から作ってあったシナリオは…平たく言うと ぽ村 ともう一人のメンバー…つまり、PL全員が全く必要とされない内容だった。
自分の意見も言う事も無く、世界の雰囲気を伝えられ、行動を強制され、しかしサイコロを振る事も無い。
そしてGMが延々と一人芝居を3時間ほど打った後、キーマンと思しきNPCと会った…というところで、一つ目のシナリオは終わった。

ほとんど忘れたが、少しだけ覚えてる。
数少なく発言できる箇所も、「性格に合ってない」とダメ出しされたり、 ぽ村 のキャラクターなんか痛く嫌われたもので、結構酷い仕打ちにあった気がする。
「NPCに会うまでは文章にして出した方が良かったんじゃないの?」
と、もう一人のメンバーが苦笑いしていた。

その帰り道。
どうすれば、今のGMのセッションを二回目以降面白く出来るかと、2人でもう一人のメンバーと思案していると、そのメンバーが ぽ村 に「 ぽ村 のGMで他のキャンペーンがやりたい」と言われた。

ここが大きな岐路だった。
ここで断ってしまえば、とここ数年間はずっと後悔している。

ここで断っていれば、
 ぽ村 が一人悪役になってメンバー間の交友関係を悪化させる事も無かった。
グループ保護の為に妙に固まったルール押し付けて、他のメンバーから反感を買うことも無かった。
地元や大学の友人達との交流をかなり制限してしまう事も無かった。
サークル・バイト・勉強…色々な可能性を失うという対価を支払う事も無かった。
そして、喧嘩別れになってしまったグループ解散や、あんな惨めったらしいキャンペーンの終わりを迎える事も無かった。
良い思い出のままでTRPGを終え、その他のメンバーとも現在もそこそこ仲良く友人関係が続いていたのかも知れなかった。

しかしそんなことも露知らず。
95年の内紛後、約二年ぶりにメンバーから待望論が飛び出して、 ぽ村 は戸惑った。
丸二年近く、無気力なプレイに付きあわさせて、「こんなプレイが続くならもういい。TRPG辞める」と、ある種すねていた自分に気付いた。
ああ、ヲレが求めていたのは、そんな励ましや期待の言葉だけで良かったんだよ…。
なんて思った。

気付かなければ良かったのに。
思わなければ良かったのに。

「一応、ネタはあるけど…。今、GMやってるのはあのメンバーだ。あのメンバーが、良いと言うならやる。あっちが今のキャンペーンを続けたいと言うなら、ナシで。」
という返答でその場を濁したが、内心、たまらなく嬉しかった。

翌週。
申し訳ないと思いながら、「もう一人のメンバーが、ヲレGMでキャンペーンやりたいって言ってるんだが…」と切り出したところ、GMをやっていたメンバーは力なくうなづいた。
「二本目のシナリオも作ってないから、いいよ。」
どうやら、一本目のシナリオがかなり自信作だったにもかかわらず、反応が悪かったのが響いているらしかった。
「PLの方が楽だしね…」と、白紙のキャラクターシートを前に急に張り切りだしたそのメンバーを見て、「…コイツやっぱり、GMに向いてないな…;」と、内心思った。

どうせメンバーも居なくなるのは止まらない。
グループもすぐに消える。
出来るなら2ヶ月程度、10話以内で終わるものにしよう。
短いなら密度を濃くしよう。
TRPGの存在価値を脅かせるMMORPGも、ネット環境の不整備から普及に時間がかかるのは目に見えているじゃないか。
それまで、もう少しこの世界に居るのも悪くない。

そうだ。
せっかくだから、これまでにメンバー達に提案されたスタイルを全部取り入れるのはどうだろう?

・背景描写や人物描写を細かくシナリオに書いてくる(メンバー案)
・物語の進行には無用な戦闘やダンジョンを削る(メンバー案)
・人物や背景を絵として描いてくる(メンバー案)
・集中力がもつうちに切りあげる為、それまで5・6時間だったプレイ時間を3・4時間まで短縮( ぽ村 案)

これらを全部取り入れることにした。
元ネタはセガサターンでリメイクされて大化けた「LUNAR シルバースターストーリーズ」を骨に、足りない部分はPC達の設定でツギハギ。
2人とも、実はキャンペーンシナリオに飢えていたのか、結構な設定を用意してくれた。

そして、 ぽ村 のTRPG人生を(良くも悪くも)変えるキャンペーンが始まった。

ぽ村 も久々に期待されているキャンペーンとあって、二年間の鬱憤をはらすべく全精力を傾注。
最後の花道を用意してくれた。
これで最後だろ…と、一切妥協するのを止めた。

脳にいいからと甘いものを食べまくり、体重はメキメキ増え(キャンペーン終了までにに5キロ増えた)、大学でも授業中にシナリオのネタを考え、セッションのある日曜以外は一日四時間ほどシナリオ制作に充てる。
(つまりは1セッションにつき制作時間は20~24時間)そして、セッション時間は3時間程度なのだ。
B5用紙裏表にビッシリと文字を書き、別紙にヘタな絵を描き、1セッションあたり、B5容姿で5・6枚、別紙が2・3枚…。
どれほどの密度か、TRPGのシナリオ制作経験者なら解るってもらえるだろうか?

そしてこの過剰な労力の末に完成したキャンペーンシナリオは、メンバー2人から大いに喜ばれた。

自分の苦労が報われるのがこんなに嬉しいなんて!
4・5・6作目のキャンペーンで人間不信に陥ってる自分を励ましてやりたいと思った。

「最後の花道」。

そのはずだった。

1997年(前)に続く


1997年(前)

香港が中国に返還された
ペルー日本大使公邸占拠事件がようやく解決した
神戸連続児童殺傷事件とか、もののけ姫とかFF7発売とか色々あったけど、国内は結構平和だった気がする。
そんな97年。

妥協を一切捨てたキャンペーンが好評なまま、迎えた97年の正月。

ある人物がヲレの実家を訪れる。

TRPGの場所を提供してくれているプレイヤーの、父親だった。

その姿を実家の玄関先で見たとき、ぽ村は「来るべきモノが来た・・・」と覚悟した。

92年の記事を見てもらえればわかるだろう。

TRPGは参加メンバー確保と同等に、プレイできる場所が死活問題になる。
96年夏頃から、団地集会場を追い出されたグループは、メンバーの内、一人の家にほぼ毎週集合。
その家には当然、メンバーの家族が居る。
その家族の迷惑も顧みず、毎週日曜日のお昼時、数時間をお邪魔してるのだ。

訪問の理由は察することが出来た。


「もう家で毎週遊びにくるのはやめて欲しい」


そんな言葉を覚悟した。

ああ、そうなったらどうしよう。
あと2・3話で終了だから、今月中は勘弁して欲しいとお願いしようか。

ソレも嫌がられたら、中止もやむをえない。
交通の便の悪いヲレの一人暮らし先に会場を移したとして、2・3話とは言え、どれだけ続けられるかわからない。

でも
もうしょうがないよねこの場合・・・


メンバーの父親と会話を始めるまでの数秒間、そういった思考が脳内を駆け巡った。


予測できた結論はひとつだった。


今月か遅くとも来月でTRPG趣味、これで終了


ちょうどいいよね、最後の花道なキャンペーンがあれほどウケているんだし。
でももう2・3週間だけ勘弁して欲しかったな・・・


そう思いながら
色々諦めて、挨拶して話を聞く。



すると、何もかも予想を裏切る言葉がメンバーの父親から発せられた。


「今遊んでいるゲームを、息子(メンバー)を加えたまま続けて欲しい」
「そのために、場所が必要ならこのまま週一で今の家を提供して良い」


予想外すぎて、言われたときに何を言われたか少しの間把握できなかった記憶がある。

「え?あれ?迷惑じゃないんですか?正直やめるのも覚悟していたんですが・・・」
と混乱した


父親さんの話はこうだった。

メンバーの息子は高校卒業以来、場所提供メンバーは働きもせず家に引きこもった(当時はそんなワードが無かったが、今で言うとニートだった)。
外出はゲームセンターに行くときだけ。
家の金をくすねてゲームセンターへ出て行く。
交友関係はTRPGをやっているメンバーだけ。

普段無気力だが、TRPGの話だけは息子が嬉々として話す。

なので、これからも友人としてお願いしたい。
そしてTRPGをしながらで良いので、社会復帰(?)を手伝って欲しい。
そのためには場所を提供して良い

と言うのだ。

にわかに信じられない…というか、メンバーがそんな立場(ニート)だった事も初耳だった。


メンバーの立ち直りに家族公認で協力でき、その手段としてTRPGの場所を提供してくれる


20になったばかりで安っぽい正義感に燃えるヲレは、何もかも良い話に思えて
戸惑いながらも変なテンションで興奮しながら承諾した記憶がある。


しかし、それから一日もしないうちに、ヲレは凄まじい不安と制約を課せられたことに気付く。



一つは場所提供のプレイヤーの人生を担がされたこと

そして、TRPGをそのメンバー込みで続けなければならないこと。
その為に、色々な不安要素を排除しなければいけないこと。

今思い出しても窒息しそうになる。
実際にタイピングの手が止まる。
だから書くことをためらい、この記事の更新が長らく止まってしまう。

その間、大震災とか起こってしまうと、こんな事だって小さく思える。
しかし、20年を数える今だって、この時から始まる苦悩を文章化するのは息苦しさを感じてしまう。


しかしその時のヲレは、大いに評判良かったキャンペーンが完結できるまで、今の環境で遊べる。

問題のメンバー本人はヲレのキャンペーンに大変好意的で、ヲレもメンバーもTRPG自体に見切りをつけるとは思わなかった。

そういう刹那的な現状が脳内麻薬となったのか、
上記の不安要素を「要するにヲレがブレずに頑張れば問題なし」程度のレベルに押し込めてしまった。
快諾してしまったヲレをメンバーの親父さんは笑顔で別れた記憶がある。
なんて無責任なんだろう


97年初頭。
何もかもタイミングが悪かった
コレが96年の中頃だったら?


「そこまで息子さんの面倒を見きれません。」


と、グループの存続ごと拒否していたかもしれない。
ソレが拒否できないほど、そのときのキャンペーンは盛り上がっていた。



しかし、グループ内の交友関係は時を同じくして悪化の一途をたどる。

その月の成人式。
社会儀礼的な事を嫌う場所提供メンバーは、寝巻き姿で成人式に出席。
他のメンバーはその友人と思われることを嫌い、場所提供メンバーから距離を置くようになった。
それがやがて反感や敵意に変わってゆく。

コレが97年1月。

その後のグループの歪みと、その元凶の始まりだ、と20年目の今をもって言える。


そして、安定的にグループを維持するため
そして場所を確保するため
ヲレはTRPGに対する具体的な思索を始める。

数ヶ月前まで「いつやめても良い。あとは野となれ山となれ」と思っていた人間とは思えない。

思索はかなりの時間を費やした。
TRPGはTVゲームやネットワーク活用したゲームには絶対勝てない。
話は映画や小説・マンガやアニメにも勝てない。
プレイヤー達の要望をハイハイ聞いて後先を考えずに導入しているだけでは(いくつかのマンガと同じで)そのうち行き詰るか、つまらなくなる。

原点回帰で無印シナリオなんか自殺行為だ



今でも思う。
アマチュアでこのレベルの思索をしたプレイヤーが、どれだけ居るだろうか?

このときに導き出せた回答はある。
以後はその周知と前提でメンバーに遊んでもらった。

しかしそれさえ、正解だとは思っていない。
その時のグループを保つため、グループメンバーが一番喜ぶであろう手法を自分なりに探し当てた。

と言うのが正確だろう。


TRPGはGMによって、方向性がカスタマイズされていくゲームだとその時確信した。

TRPGのシナリオ制作やプレイスタイルでスタイルで普遍的な正解なんか無い。
あるとすれば、話の共有という事だけだろう。
そう自覚するすることが出来る(他者のカスタマイズを容認できる)GMと出来ない(自分の理想像と違うと、そのカスタマイズを理解できないどころか、敵視する)GMとでは、大きな差が出るなと今でも思う。


「コレで良い」と自己満足にふけるGMの元、PL達が不満では裸の王様だ。
例えGMが不満でも、PL達が大いに盛り上がるマスタリングこそが正解。

GMがPLたちに良くわからない自己満足を押し付けるのは良いTRPGではない。

PL達の要望ではなく、需要を汲み取ることが面白いTRPGの根幹だ。

TRPGさえ面白ければ、それに参加するメンバーは話を共有して仲良くしていけるに違いない。
たとえ第三者から見て少しばかり歪んでいようとも。



97年春、
少なくともヲレはそう信じた。

1997年(中)に続く
タグ:TRPG 思ひで
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ぽ村

・1995年(後)を早速うp。

天国(3作目)から地獄(4作目)へ。
グループ崩壊の遠因とも言うべき溝が発生します。
by ぽ村 (2011-03-09 03:39) 

ぽ村

・1995・96年の<余談>をうp。
人間不信渦巻くグループのなのに、何故TRPGそのものは続いたのか?

スゴイ消極的な理由なが返ってきますTT

それを証明するかのように、様々な試行錯誤は全て空振り。
グループのTRPG固定化を招くことに…;
by ぽ村 (2011-03-10 17:28) 

ぽ村

・1996年(前)をうp。

今、思いおこせば「どうにかしよう」ってもがいた年でした。
その結果、一つの答えを見つけ出します。

その答えは間違ってなかった…と思うw
by ぽ村 (2011-03-30 21:19) 

ぽ村

1996年(前)をちょっとづつアチコチ修正。

修正希望・反論等は甘んじて受けます。
by ぽ村 (2011-04-12 02:48) 

ぽ村

1996年(後)をうp。
辞めどころを過ってしまいます。
by ぽ村 (2011-05-21 15:14) 

ぽ村

1997年(前)をうp。

6年ぶりか・・・
歪むよこのころから。
しかし間違っていたとは思わん。
TRPGの方向性的にはだけど。
by ぽ村 (2017-04-09 03:01) 

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